2008年7月21日月曜日

ブログ引っ越しー!

ブロガー好きだったけど画像のUPに不便だったからかえた!

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引き続きよろしくお願いします。
かおり

2008年3月23日日曜日

ゴビへ

モンゴルに着いた日は真夏8月の中旬だった。ひとつ日本人の経営するドミトリーがあると聞いて、初モンゴルでひよっていた私はそこに来た。元気よく「こんにちわー!」と玄関を開けた先に見たものは、もはや何人だかわからない程日焼けしてヒゲがボーボーに伸びた男の人たちだった。白い目をギョロっと向けてご飯のお椀と箸を持ち、モグモグしながら無表情にただこちらを見つめていた。なんだこの雰囲気は!!!完全に沈没組の日本人男性である。それぞれが気ままに暮らしていた。その夜は現地の国立音楽大学目指して一日中モンゴルの笛を練習している男の人と外で笛を吹き合いながらお互いのことを話した。ドミでお茶を入れて外に持ってくるけど寒くてすぐに冷たくなる。モンゴルの気候は凄まじい。真夏なのに、昼は35℃、夜は3℃なんだ。
ドミのおばちゃんに「今日はお湯が出ないから浴びたかったら水で浴びてね」と言われたものの、シャワールームから出てきた子が真っ青な顔をしていたからこれはヤバいと思いやめた。

明日からゴビ砂漠に行こうと思っていた。車をチャーターする関係で人数が多い方が値段が安くなる。ドミトリーにいた香織という私と同じ名前の女の子と創という男の子を誘って4人で行くことにした。ゴビ砂漠に行けばお風呂もシャワーも無い。今日入らないってことはこれから1週間は入らないってことか。この真夏にやばいな・・と思いながら、寝た。


次の日、ブーーブーーという深い低音で目が覚めた。一体なんなんだ!2段ベッドの上に寝ていたので、目を擦りながら下を見下ろすと香織がちょうど起きたところだった。実は、香織は耳が全く聞こえない。ピピピと鳴る目覚まし時計の代わりに、枕の下にバイブレーションを入れていたのだった。

この日はあいにくの曇りだった。ウランバートルは小さい。車で走り出してわずか15分くらいでコンクリートの道が土の道に変わり、車は草原の中をガタガタと走っていた。トーヤと呼ばれる国分太一に似た私たちの運転手は、小石が円錐状に積み上がった小さな山の前で車を停めて、私たちに降りろという仕草をした。



旅ゆく者の安全を願うオボというものだ。青は空、緑は草原、赤は太陽、白は雲、黄色は大地を表しているという。トーヤに倣ってオボの周りを3回まわる。大昔から広い広い草原を移動してきた遊牧民たちが人間を超える存在としての自然を畏怖して作られた文化なのだろう。

何時間もゴトゴトと揺れて大草原を走ってゆく。なんの遮りもない空の向こうに雲の割れ目が見えていた。晴れている。空を大きく動く雲が、そのまま大地に映されて大きな影となってゆっくりと動いていた。


トーヤの他にもう一人、モンゴル人で英語が話せるアルナという20歳の女の子がガイド役で一緒に乗っていた。「お昼をここで食べるよ!」といってアルナが車を飛び出した先には煙突から煙の出ているゲルがあった。



ゲルを訪ねてみると朝青龍の親戚みたいな肝っ玉かあちゃんがドスーンと座っていた。全く笑わない。アルナがお昼を作ってほしいと頼むと「はいよ、じゃあ今から作るわ」と言った感じでそれからご飯ができるまで30分以上待った。その間私たちは肝っ玉かあちゃんの旦那さんに絡んでもらったり明日殺される予定の羊を見つけて話しかけたりしていた。

アルナができたというのでゲルに入ると肝っ玉かあちゃんが無言で小麦粉の麺みたいのをよそってくれた。まだ笑わない。無表情すぎて怖い。
常にお隣さんがいる日本人は、近所付き合いが非常に大切だ。日頃から愛想笑いをして、何かあったときに助け合いができるように備えている。一方で遊牧民は家族単位で点々と住んでいる。だだっ広い草原で、愛想笑いなんて必要ないのだ。でも私たちが無心にご飯を食べておいしいと言っているとわずかに顔が緩んだ。モンゴル人は正直だ。

決意したぞー

部屋に掛けられた世界地図を見ていると、なんだか不思議な感覚に襲われる。大海のように広がる草原を馬に乗って駆け抜けたのは、この手のひらに収まるほど小さく描かれたモンゴルなのか。地名もほとんど書かれてない。しかし、私たちと同じように食事をし、排泄し、怒り、喜び、泣き、自然に立ち向かって懸命に生きている人々がいたのだった。
就職を来月に控えて準備していると、自分の生活している空間があまりに現実的過ぎて記憶の中の彼らがどんどん遠くなってしまう気がする。

さぼってたけど、このブログに思い出書いてくぞー!

2008年2月29日金曜日

中央アジアを旅する

うっひょー たらいま。 
ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンから帰ってきた。 
親に心配されてたけど、大丈夫!私はたくさんの大切なものを得たよ。 


サマルカンドは街全体に陽気が流れているような所だった。 
平日でも男の人が家の前に座ってぼーっとしてる。みんな当たり前に話しかけてくる。シャシリクを食べようと思って、焼いてもらってたら大学生がやってきて、明日大学きてよって。次の日行ってみたら教室で学生たちがスタンバってるではないか!日本について語ってくれって言われて、みんなの前に出て日本の文化を語る。みんなニコニコしながらいろんな質問をしてくれて、日本への興味の高さにとってもうれしくなった。 






いつの間にか私も現地のウズベク人のように、気軽にその辺に歩いてる人に声をかけるようになってた。聞いたら今から友達の誕生日会に行くって言うんだもん。一緒いっていい?って聞いたら、もちいいよって言ってくれるのがウズベク人!本当楽しかった! 



14時間ホラー映画のような列車に乗って、ヒヴァにきた。中央アジア最大の奴隷市場だったとこだ。今はシーンとしたこの地で、人間が何世紀も売り買いされていたんだと思うと、なんとも言えない気持ちになったよ。 





ここで出会った日本人かみたまと明日リシタンいこーぜってことに!まさかリシタンに行けるとおもってなかったーぁ!! 



こんな日本から離れた内陸で、子供たちがイキイキと日本語を勉強してるのがうれしくもあり、不思議でもあった。子供たちに活力をもらって、私はキルギスの国境へと向かう。 
思った以上に殺伐とした雰囲気だった。ムスッとした警察が私のバックパックを開けて、丸まった下着の入った袋を指差し「これはなんだ」よっぽど下着だと言ってやろうかと思ったけどやめた。警察に賄賂を払うのが当たり前の国だ。警察に絡むといろいろめんどくさい。 
キルギスではまたもや道で話しかけられた人から縁が始まって、その人の友達の友達の友達の友達の...15人くらいの人にお世話になることになった。 



一緒にスキーに行ったり、馬に乗ったりして遊んだ。毎日新しい友達ができて、毎日新しい遊びをした。 


夏また行く!私のシルクロード記は同じ道を何度もなぞりそう。

2008年2月7日木曜日

貴州省(文あとで書くわ)




これ、犬肉のスープ…予想に反して美味しかった。。






2008年1月17日木曜日

記憶

モンゴルで出会った韓国人が、日本人と韓国人はモンゴルか来たから騎馬民族だ、と力説していた意味があのときよくわからなかった。確かにモンゴル人と日本人の顔は似ている。でも、日本はかねてから農耕民族、彼らは大平原で暮らす騎馬民族思って疑っていなかった。しかし一方で、なぜおしりの青いのは「蒙古斑」というのか、なぜ私たちは「モンゴロイド」と言われるのか、漠然とした親近感を持っていた。

私が自分の目で現地を見、感じ、発見したことを、少しずつ糸ほどきすると、日本人の源流を騎馬民族に求める仮説にたどり着いた。日本人は紀元前、アルタイを去った騎馬民族の子孫だ。アルタイからやってきて、満州、遼東、北朝鮮と南下してきた混血チュランの一部族が朝鮮半島の部族と一緒に倭国を作り上げた。だからユーラシア大陸で名を知らしめたサカ氏が日本の蘇我氏と同一と考えるのはとても自然なことである。
それに、モンゴル語の文法は日本語に非常によく似ている。韓国語ももちろんほとんど同じだ。驚くべきことにウイグル語も日本語とほとんど文法が同じだと最近知った。方言を考えてみれば分かることだけど、東北弁、関西弁、もはや聞き取れない方言もあるけれど、日本中どこへ行っても文法は変わらない。日本人の祖先は紀元前、馬に乗ってユーラシア大陸を横断した。その長い長い年月と民族の混血によって徐々に言葉は変化して、今では一聞して理解できる言葉ではなくなってしまったけれど、それはひどいひどい方言だと言ってもいいと思う。
文法には大きな意味があるに違いない。文を頭で構成する時の順序は思考回路に直結するのではないかと思うからだ。

お守りとされる羊の骨をモンゴルから持って帰ってきた。目を閉じて、鼻を骨にくっつけてにおいを嗅いでみる。ゲルのにおいがする。私の身体があのゴビ砂漠の中心にある錯覚を起こすほどだ。
トイレに行きたくて、ちょっと茂みまで行くつもりで1キロ歩いてしまったり、何十頭もいる牛を日没の頃に走って追ったのはなんだか野蛮で力強い人間であったような記憶として思い出される。様々な映像がまざまざ蘇ってくるのに、今私がいる現実とはあまりかけ離れているせいで、モンゴルにいたことが遠い、遠い、何百年も前のことのように感じられる。

世界地図にペンで引いた経路を見ると、私が確かにそこにいたという証拠としては、あまりに無機質で空虚な紙っぺらに思える。

2007年11月29日木曜日

silkroad

2007/9/9




なんとか日本に帰ってきた!!本当に濃かったし長かったー!!






南ゴビ砂漠でゲルにステイしたら、私たちが来たからってヒツジを屠殺してくれて、他のヒツジの料理は乳製品とかも多かったからけっこうイケたんだけど、あぁぁぁこれだけはーーダメだった。。


シルクロードを横断してみて、中国の西はもう違う国だって確信した!!
顔も違う、宗教も違う、言葉も文字も違う。北京から3000キロ離れたトルファンで私22歳の誕生日を迎えたんだ。夜、ウイグル族の人が素朴で心に染み渡る歌を歌ってくれたの。






トルファンが今回の旅でダントツ一番すきな街だったなぁ。彼らは火焔山のふもとの砂漠近くに住んでいて、涼しくなる夜になると家の中じゃなく、屋根にあるベッドにのぼって月の下で寝るの。満天の星空がバーって広がって、なんて贅沢なんだろうって、本当にうらやましかった!!






そっから何千キロも移動しながらたくさんの人に会って、支えられて、毎日毎日刺激だらけの日々だった!死ぬほど楽しかったんだけど、やっぱり旅って楽しいだけではなくて、もう最後はストレスで鼻血出すわ腹痛で死にそうになるわで大変だったw
でも、でも、今となってはぜーんぶ楽しかったよ!!!
みんなと遊びたい!