2008年1月17日木曜日

記憶

モンゴルで出会った韓国人が、日本人と韓国人はモンゴルか来たから騎馬民族だ、と力説していた意味があのときよくわからなかった。確かにモンゴル人と日本人の顔は似ている。でも、日本はかねてから農耕民族、彼らは大平原で暮らす騎馬民族思って疑っていなかった。しかし一方で、なぜおしりの青いのは「蒙古斑」というのか、なぜ私たちは「モンゴロイド」と言われるのか、漠然とした親近感を持っていた。

私が自分の目で現地を見、感じ、発見したことを、少しずつ糸ほどきすると、日本人の源流を騎馬民族に求める仮説にたどり着いた。日本人は紀元前、アルタイを去った騎馬民族の子孫だ。アルタイからやってきて、満州、遼東、北朝鮮と南下してきた混血チュランの一部族が朝鮮半島の部族と一緒に倭国を作り上げた。だからユーラシア大陸で名を知らしめたサカ氏が日本の蘇我氏と同一と考えるのはとても自然なことである。
それに、モンゴル語の文法は日本語に非常によく似ている。韓国語ももちろんほとんど同じだ。驚くべきことにウイグル語も日本語とほとんど文法が同じだと最近知った。方言を考えてみれば分かることだけど、東北弁、関西弁、もはや聞き取れない方言もあるけれど、日本中どこへ行っても文法は変わらない。日本人の祖先は紀元前、馬に乗ってユーラシア大陸を横断した。その長い長い年月と民族の混血によって徐々に言葉は変化して、今では一聞して理解できる言葉ではなくなってしまったけれど、それはひどいひどい方言だと言ってもいいと思う。
文法には大きな意味があるに違いない。文を頭で構成する時の順序は思考回路に直結するのではないかと思うからだ。

お守りとされる羊の骨をモンゴルから持って帰ってきた。目を閉じて、鼻を骨にくっつけてにおいを嗅いでみる。ゲルのにおいがする。私の身体があのゴビ砂漠の中心にある錯覚を起こすほどだ。
トイレに行きたくて、ちょっと茂みまで行くつもりで1キロ歩いてしまったり、何十頭もいる牛を日没の頃に走って追ったのはなんだか野蛮で力強い人間であったような記憶として思い出される。様々な映像がまざまざ蘇ってくるのに、今私がいる現実とはあまりかけ離れているせいで、モンゴルにいたことが遠い、遠い、何百年も前のことのように感じられる。

世界地図にペンで引いた経路を見ると、私が確かにそこにいたという証拠としては、あまりに無機質で空虚な紙っぺらに思える。