2008年3月23日日曜日

ゴビへ

モンゴルに着いた日は真夏8月の中旬だった。ひとつ日本人の経営するドミトリーがあると聞いて、初モンゴルでひよっていた私はそこに来た。元気よく「こんにちわー!」と玄関を開けた先に見たものは、もはや何人だかわからない程日焼けしてヒゲがボーボーに伸びた男の人たちだった。白い目をギョロっと向けてご飯のお椀と箸を持ち、モグモグしながら無表情にただこちらを見つめていた。なんだこの雰囲気は!!!完全に沈没組の日本人男性である。それぞれが気ままに暮らしていた。その夜は現地の国立音楽大学目指して一日中モンゴルの笛を練習している男の人と外で笛を吹き合いながらお互いのことを話した。ドミでお茶を入れて外に持ってくるけど寒くてすぐに冷たくなる。モンゴルの気候は凄まじい。真夏なのに、昼は35℃、夜は3℃なんだ。
ドミのおばちゃんに「今日はお湯が出ないから浴びたかったら水で浴びてね」と言われたものの、シャワールームから出てきた子が真っ青な顔をしていたからこれはヤバいと思いやめた。

明日からゴビ砂漠に行こうと思っていた。車をチャーターする関係で人数が多い方が値段が安くなる。ドミトリーにいた香織という私と同じ名前の女の子と創という男の子を誘って4人で行くことにした。ゴビ砂漠に行けばお風呂もシャワーも無い。今日入らないってことはこれから1週間は入らないってことか。この真夏にやばいな・・と思いながら、寝た。


次の日、ブーーブーーという深い低音で目が覚めた。一体なんなんだ!2段ベッドの上に寝ていたので、目を擦りながら下を見下ろすと香織がちょうど起きたところだった。実は、香織は耳が全く聞こえない。ピピピと鳴る目覚まし時計の代わりに、枕の下にバイブレーションを入れていたのだった。

この日はあいにくの曇りだった。ウランバートルは小さい。車で走り出してわずか15分くらいでコンクリートの道が土の道に変わり、車は草原の中をガタガタと走っていた。トーヤと呼ばれる国分太一に似た私たちの運転手は、小石が円錐状に積み上がった小さな山の前で車を停めて、私たちに降りろという仕草をした。



旅ゆく者の安全を願うオボというものだ。青は空、緑は草原、赤は太陽、白は雲、黄色は大地を表しているという。トーヤに倣ってオボの周りを3回まわる。大昔から広い広い草原を移動してきた遊牧民たちが人間を超える存在としての自然を畏怖して作られた文化なのだろう。

何時間もゴトゴトと揺れて大草原を走ってゆく。なんの遮りもない空の向こうに雲の割れ目が見えていた。晴れている。空を大きく動く雲が、そのまま大地に映されて大きな影となってゆっくりと動いていた。


トーヤの他にもう一人、モンゴル人で英語が話せるアルナという20歳の女の子がガイド役で一緒に乗っていた。「お昼をここで食べるよ!」といってアルナが車を飛び出した先には煙突から煙の出ているゲルがあった。



ゲルを訪ねてみると朝青龍の親戚みたいな肝っ玉かあちゃんがドスーンと座っていた。全く笑わない。アルナがお昼を作ってほしいと頼むと「はいよ、じゃあ今から作るわ」と言った感じでそれからご飯ができるまで30分以上待った。その間私たちは肝っ玉かあちゃんの旦那さんに絡んでもらったり明日殺される予定の羊を見つけて話しかけたりしていた。

アルナができたというのでゲルに入ると肝っ玉かあちゃんが無言で小麦粉の麺みたいのをよそってくれた。まだ笑わない。無表情すぎて怖い。
常にお隣さんがいる日本人は、近所付き合いが非常に大切だ。日頃から愛想笑いをして、何かあったときに助け合いができるように備えている。一方で遊牧民は家族単位で点々と住んでいる。だだっ広い草原で、愛想笑いなんて必要ないのだ。でも私たちが無心にご飯を食べておいしいと言っているとわずかに顔が緩んだ。モンゴル人は正直だ。

決意したぞー

部屋に掛けられた世界地図を見ていると、なんだか不思議な感覚に襲われる。大海のように広がる草原を馬に乗って駆け抜けたのは、この手のひらに収まるほど小さく描かれたモンゴルなのか。地名もほとんど書かれてない。しかし、私たちと同じように食事をし、排泄し、怒り、喜び、泣き、自然に立ち向かって懸命に生きている人々がいたのだった。
就職を来月に控えて準備していると、自分の生活している空間があまりに現実的過ぎて記憶の中の彼らがどんどん遠くなってしまう気がする。

さぼってたけど、このブログに思い出書いてくぞー!